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岡本行夫さんを悼む

2020.05.09

昨夜、岡本さんがご逝去されたというTVの速報が、突然目に飛び込んできた。

「えっ、うそだろう」

思わず、言葉が口からこぼれた。

今回のコロナ災禍、失ってはいけない、失いたくない著名人が多く亡くなる。

その中でも、袖すりあうも何かの縁、程度ではあったが、

一時期、仕事で大変お世話になった岡本さんのご逝去には、言葉が無い。

近年はメディアでご活躍の岡本さんは、私の前職の企業で長い間社外取締役を

務められていた。

一般的な元エリート官僚のイメージには全く似つかわしくない、明るく気さくなお人柄は

お話する機会がそれほど多くなかった私にも十二分に伝わった。

お酒の席、いやお酒を酌み交わしながら楽しく語り合うことがお好きだと

会社の仲間からも聞いていた。

岡本さんとの縁で、私には、おそらく生涯忘れられない瞬間がある。

前職のサラリーマン時代、私は、残念ながら任期中に勃発した大規模国際カルテル事件の対応に

法務担当の責任者として没頭したことがある。

事件発生直後から、岡本さんとは「社外取締役と担当部長」という立場で

何度かお話する、いや、様々なご指導、薫陶を受ける機会があった。

圧のある鋭い、しかし目の奥には優しさに溢れる慈愛のまなざしがいつも印象的であった。

頂いた指摘やアドバイスは、お立場上、時に厳しく、かつ常に的確だった。

三菱の源流として営々と歴史を刻んできた老舗会社の命運を左右しかねない苦境の中で

有事対応の舵取りを行うという、

自らの身の丈・実力には到底見合わない重責を偶然に負わされた私にとって、

時に大いに励まされ、時に丸くなりがちな背を伸ばせと叱咤を受けた気がいつもしていた。

事件勃発から最初の2年半ほどのcriticalな時期を駆け抜けたところで、

私は任期満了としてその職責を解かれた。

職を解かれる当日に行われた最後の独禁法徹底委員会。

その忘れえぬ瞬間は、突然、思いもしないタイミングで、その日、やってきた。

この委員会は、社長以下全役員・全部長、そして関係するセクションの課長層

すべてが参加を求められたもので、

業務執行側の優に100名を超える中枢の人間を集める、

半年に一度の大会議であった。

因みに、日経新聞にも、会社全体で再発防止に向けて徹頭徹尾取り組む姿勢を

当時、その紙面で取り上げられた経営報告会。

私はその起案・運営かつ司会を職責として担当していた。

社長の強いリーダーシップのもと開かれたこの会議は、世間によくある、

アリバイ作りのような予定調和的なものの対極にあるような会議だった。

経営の透明性を維持する上で欠かせない、社外取締役、社内外監査役、弁護士による

忖度や忌憚が一切ない意見・質問に執行側が徹底的に答えるという、

健全な緊張感に満ち溢れた真剣勝負・本気を絵に描いたような会議であった。

手前味噌にもなるが、コーポ―レートガバナンスの施策の手本ともなるような

全員参加型の極めて質の高い会議であったと、今でも古巣を誇りに思う。

その経営会議の最後に、任期通算6年、事件対応2年半の活動総括を私は行った。

そこに所属することを心の底から誇りに思えた古巣が、

二度と不祥事で苛まれることの無いように

忌憚のない私見を交えた、本気の総括だった。

散会後、重責から一気に解放され気が抜けた私は椅子から立ち上がる

ことができずに、しばらく放心状態のままボーっとしていた。

その時だった。

「素晴らしい、文字通り会社を救う活動だった。ありがとう。」

予期せぬ謝辞に驚いて振返ると、岡本さんがそこに立っておられた。

あの深い慈愛に満ちたまなざしと、照れたような満面の笑顔で。

わざわざかける必要など全くない、労いの言葉と共に

予期せぬ出来事に驚いた私は、慌てて立ち上がり

「こちらこそありがとうございました。本当にお世話になりました」

としどろもどろに答えるのが精いっぱいだった。

岡本さんは、満面の笑みを浮かべ、ギュッと握手をしてくださった。

そして、私の肩をポンポンと2度ほどたたいて、会議室を退出された。

2015年 3月。

残念ながら、それが岡本さんとの今生のお別れとなった。

会社を離れ、独立の道を選んだ私は、TVで時折拝見する岡本さんの

元気そうなお顔と常にブレない言説を耳にするのが好きだった。

眼光鋭くも優しいまなざしもあの頃のままだった。

「あの時のコンプライアンスの活動で得た知見を、

及ばずながら社会のために役立てようと色々やってます。」

お酒がお好きな岡本さんが、実は近所にお住まいであり、

前職の会社の仲間とは時に杯を酌み交わしていると

会社に残った友人から聞いた。

それでは、そろそろお声がけして、昔話を肴に是非一献傾けたい、

そう、思っていた矢先のことであった。

なぜもっと早く、お誘いしなかったのだ。

悔やんでも悔やみきれない。

正直、今は、この変えようもない事実を

ちゃんと消化できているとはとても言えない。

喪失感はこの程度のご縁であった私にもこのように極めて大きい。

ご家族や、もっと深い縁をお持ちの方々の落胆は想像もつかない。

I don’t know what to say..

でも、居ても立っても居られず、この今の気持ちと、心からの感謝を

どうしても言葉にせずにはいられなくなった。

確かなことは、あの岡本さんの力強い握手の感触が

今でも私の右手に残っていること。

それだけは確かだ。

そして、きっとこれからもずっと。

もう一度、お会いして、お話したかった。

無念です。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

=追=会いたい人には、多少無理をしてでも絶対に会わねばならない、

そう思いました。

また、教えて頂きました。 2020/5/8

出処:日本経済新聞(2016年撮影)私がお世話になっていた頃に近い岡本さん