わたしは、 ダニエル・ブレイク
2020.05.10
【Nick塾】 よろずよもやま話
最近のコロナ災禍への日本社会の対応を見ている(日本だけではないが)と
「性善説」と「性悪説」の織り成すさまが、色濃く見て取れる。
自らの保身や損得のための言い訳だらけの人間もいれば
自らの命を賭してでも人を助けようとしている人もいる。
タニンゴトの評論だらけの肩書インフレの政治家もいれば、
髪振り乱して、文字通り不眠不休で対策に走り回る政治家もいる。
あまりの変節や恥を知らない言動に言葉を失うことも少なくない
その一方で
社会を懸命に支えようと全力を尽くす市井の人が少なからずいることを知る。
社会とはこういうものなのだろう。
深い闇があれば、その闇を切り裂く希望の光もある。
ゼロ100の単純な議論で切り取れるほど
社会は単純なものではない。
そんな社会の多面性・複雑性を見せつけられる毎日の中で
前から見たいと思っていた
映画「わたしはダニエル・ブレイク」を観た。
素晴らしい映画だった。
久しぶりに心を、魂を揺さぶられた。
一見、あまりにも救いのない展開のようでいて、
人間社会、或いは 人間そのものに対する
溢れんばかりの深い愛を感じた。
予期せぬ病苦や貧困、苦難の到来
一度狂い始めた人生の歯車は必至の努力にもかかわらず元に戻らない
経済弱者に襲い掛かる圧倒的な理不尽と貧困の刃
その痛めつかられた弱者を食い物にしようとすらする人間の存在
硬直的な社会保障システムが本来のsafety netの機能を全く果さず
(どこかの国も全く同じだな)
その問題に気がつかない、気が付いても仕方ないとあきらめる役人
これが決まりだ。 決まりは守らねばならない。
そこには血の通った弱者を救うための柔軟性は一欠けらも見当たらない。
その一方で、
自らの良心に従って助け合う市井の人々
出来る限りのサポートを与え、困窮者を救おうとする人々
無垢な子供が見せる 人間の本質を捉えた「評価」
自らの尊厳を維持し、筋を通して懸命に働きかけようとする情けないぐらい
不器用かつ清貧な生き様
そこには現実世界の圧倒的な誤謬・詭弁・そして苛烈な格差や貧困に苛まれながらも
失うことのできない人としての尊厳と深い隣人愛が謳われている。
厳しい現実は目の前に立ちはだかるけれど
愛が溢れる社会、人々の存在を信じたいと思う。
そういう方向に、この社会が少しでも動いてほしいと思う。
社会の隅々にくまなく、では、残念ながらないけれど、
それでも、一隅を照らす光、愛は、必ず存在するのだと思う。
少なくとも、僕はそう信じたい。
nothing more than that, nothing less than that..
And yet it moves. そうであるならば Let’s go for it!
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