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  日本人に評価される外国人はなぜ他の外国人に評価されないのか?

2020.05.20

Nick塾<グローバルよもやま話>  異文化マネジメントに関しての一考察 (全三話最終話)

さて、前置きがずいぶん長くなりましたが、ここで、ようやく、

「で、異文化マネジメント」の登場です。

国境をまたぎ、異なる言語・文化・商習慣をもつ国々でビジネスを展開する際、

そこで働いてもらう人々を活性化しつつ業績の向上を果たすことが、

異文化マネジメントには求められます。

Low Context社会の欧米(このくくりも、最近私が傾倒しているホフステード理論から見ればかなり雑駁なくくりですが)を例にとると、

文化的背景のなせる業なのでしょうが、

我々の日常の風景とは正反対の景色が広がることに気が付きます。 

曰く

・自説を論理的・合理的かつ説得的に明確にハッキリと述べる(個としての能力が高い)

・原則的に 空気は読まない・忖度はしない(当然Politics上の例外はあります)

・political correctnessは理解するがそれに自らの人生をもって殉じることは無し

個の存在がまず先、組織はそのあと。個を重んじない組織には長居はしない(労働流動性)滅私という概念は基本的にない

自分のプロフェッショナリズムにこだわりがある(自分はこれが得意・専門)

どうですか? 

LC社会の人々とビジネス経験のある皆さん、認識は一致していますか?

この特性を我々日本人の世界に落としてみれば、

いわゆる「出る杭系」の人材ですね。(笑)

個性のある若い奴・出る杭を育てろと、人事の世界では念仏のように唱えられて久しいですが、

多くの日本企業にとっては、実はこれが本質的には苦手種目だと私は思ってます。

ま、そういう文化なんですよね、企業だけでなく日本全体が、残念ながら。

少なくとも今のところは。違いますか?

手強いし決して空気は読まないが、極めて能力が高い。

日本人だけでは起こせない化学反応を起こせる可能性を持つ。

こういう“うるさ型”人材を日本企業側に受け入れるだけの度量と土壌があるのか。

そう、企業としてのcapacityがあるか、ということが真に問われるのだと、

私は思います。

先に紹介した某英人シニアの例に倣うまでもなく、どんな社会でも、そう、日本社会でも、

ゴマすりや忖度にたけた「サラリーマン力」満載の人間はゴロゴロいるし、

そういう人々が企業の中の主要なポジションを得ていくこともあるのは、

ドラマや小説でもお馴染みの、いや、現実においても、

もはや何の驚きもない常識ではあります。

一方、コンサルティングを通して知己を得た企業の例を見ていて常に感じるのは、

こういう人材を海外現法のトップやシニアのポジションに置く弊害は、

同じことが国内の日本企業に起きるより遥かに大きな問題となる可能性がある、ということです。

今回のコロナ騒ぎの各国の対応を見ていてもよくわかりますが、

比較的ボトムアップ型マネジメントが得意な日本に比べ、

海外、特に欧米ではトップダウン型が目立ちます。

従って、雑な言い方をすれば、

日本企業ではトップが「うーん」でもある程度中堅社員がちゃんとしてれば割と組織は回る(そうではない場合ももちろんありますが)のに対して、

トップダウン型の組織でこういう人間がポジションを得ると、その取り巻き一団がこぞってチームとして組織に迷い込み、

結果、かなり大きなダメージを企業に与えることがあります。

勿論、それぞれの国、それぞれの企業、固有の事情があるわけで、

一般論で全てを語るのは当然限界がありますが、傾向としては間違いなく言えると思います。

現法のトップやシニアの人選が企業の収支・事業の発展により大きな影響を与える、ということです。

私がグローバル人財育成や組織人事、或いはグローバルコンプライアンスシステムの構築をお手伝いするクライアント企業には、

この点に関しては、その業界や企業の風土をよく理解した上で、助言を差し上げています。

極めて重要なポイントです。

また、やや耳が痛いのは、

小賢しく空気を読んで生存能力は高いけど個のビジネス能力は劣る

彼らの世界では決して一流という評価を受けない人間が、日本企業から高い評価を受けるのは、

何のことはない日本企業側の姿勢の「写し鏡」なのでは、という指摘を、いわゆる“できる外国人”から多く受けることです。

「本当に力のある奴は、そういう場所には進んで身を置かないよ」、と。

また、あろうことか、在日本の異文化対応の会社には、日本のそういう“KY(空気を読める)スペック”に合うように外国人を教育(矯正)する会社が存在するとのこと。

それはdiversityで組織を活性化し、従来日本企業になかった化学反応を組織内で生もうとする潮流の真逆であり、

どんな効果が期待できるのだろうと、私は眉に何度も唾するのです。

で、ここで、「グローバルの神髄」!

グローバルの広がりの中で、異質を認め、異質をリスペクトする。

一方、自らの足らざるを知り、異質をもってそれを補い、組織の総合力を強化・活性化し企業を成長させる。

これがグローバルでビジネスを行う企業のあるべきdiversity managementの本来求めるところです。

グローバルでビジネスをすればすぐにわかることですが、

世界標準スペックからはかなり異端の存在である我々日本人と日本企業が、海外現法や外国人と真っ当に協働(マネージ)するためには、

何のことはない、我々自身の組織文化・商慣習を異文化的側面から理解し、その「特異性」を客観的に先ずは理解し、自覚するところから始める必要があるのです。

我々は、相手とはかなり異なる人々(企業)なのだ、という自覚を持つ、ということです。

相手が親切にそのように指摘してくれるかどうかはともかく(まあ、しないだろうな)。

そして、その上で、相手側の現法やそこで働く人々が置かれたそれぞれの地域・文化特性を正確に理解したうえで、

我々自身の強みも生かしながら、最大効果を生むハイブリッドマネジメント手法を編み出すことが必要です。

現法やローカル社員への対応を考える上での“基本中の基本”は、まず、自らをしっかりと振り返ることだということに帰結するわけです。

もちろん、日本スタイルが間違っていると言っているわけではありません。

日本スタイルは優れたところも多いこと事実。

持ち前の勤勉さやチームワークへの極めて高い適応能力は世界でも指折りの強みです。

でも苦手なこと、得意でないことも、当然少なからずあります。

我々は万能ではないし、

我々のなじんだ方法論が最も優れたものである保証はないのです。

who I am/who we are (我々は何者なのか) を理解する、理解しようとする。

先ずはそこから、海外現法やそこで働く人々との協業のためのベストプラクティスの探索の旅は始まるのです。

Think Global, Act Local!

グローバルって、実はそういうことなのだと私は思います。

And yet it moves.

それでも地球は回ってるし、会社もしっかり回さなければなりません。

挑戦あるのみ!