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バブルの夜に気づいたこと

2020.06.04

【Nick塾】 よろずよもやま話 <キャリアデザイン編>

人生が大きく変わる瞬間は誰の人生にも必ずある

ある程度人生を歩んだ人は

「あれがそうだった」と思い当たるものがあるのではないだろうか?

たとえば、恋愛における運命の出会いとか。

ま、それ、一時の気の迷いということも少なくないのも

人生の奥深いところではあるが。(笑)

さて、僕の場合、それは(それだけでもないが)

今をさかのぼる事30年ほど前のバブル時代の頃のある夜の出来事だった。

バブル時代

今の20代・30代には想像もつかない世界なのだろうが

このしょぼくれうつむき加減の日本にも

 ”Japan As No.1”が本気で信じられていた時代があったのだ。

極めて浮ついた、実のあるものはあまりなかったけれど、

信じられないようなエネルギーが社会の中に蠢いていた

良いか悪いか、正しいのか間違っていたのかは横に置いて。

あの頃の、あの時代の空気を吸っていない人間には、

あの時代のことは、おそらく本当のところは理解できないだろうと思う。

その夜のことは、30年近く経った今でもくっきりと覚えている。

いや、正確に言うと、その瞬間以外のことは殆ど忘れてしまったが、

あの瞬間だけは、昨日の夜のことのように覚えている。

それだけ、記憶に残る衝撃だった。

あの瞬間が僕のそれからの30年間を決めた、デザインした、

と言っても過言ではない。

国際海運会社の営業職だった僕は、

その夜もいつものように繁華街に繰り出していた。

おそらくお客さんとの接待だったと記憶する。

当時は、今では(多くの人には)信じられないことだが、

日本全国、接待でもプライベートでも会食の帰りに電車で帰るという感覚は

あまり無かった気がする。

当時のタクシーのつかまらなさも今では神話になっている感があるが、

午後10時を回ると、路上ではまずつかまらなかった。

幸運にも空車を見つけても、近距離・現金顧客は拒否が当たりまえ。

タクシーの運転手と客がよく殴り合いしてたっけ。元気な酔っ払いも多かった。(笑)

そうなると会社のタクシーチケットがここで幅を利かす。

それも11時を回るとほぼ予約の電話がつながらなくなり、漸くつながるのは2時過ぎてから。

そんな繁忙時間帯でも繋がる「裏番号」を自慢しているバブル紳士もいた。

そういう奴は、弁当箱よりも大きな当時の「携帯電話」

キレイどころの前でこれ見よがしにタクシー呼ぶのが常だった。

ホントですか、と若者にはよく言われるがホントの話。

ソウイウ時代が日本にもあったのだよ、諸君!

日本中がとにかく浮ついていた。

それもかなり激しく。

嘘だと思ったら、家に帰ってオヤジさんに聞いてみな、と。

確かに、あの時代に生きていなかった人間には理解するのは難しいだろう。

バブル時代のばかばかしい逸話は

それこそ一晩あっても足りないぐらい山ほどある。

よくも悪くも、老若男女問わず、皆さんが

ひたすら「肉食系」の時代を生きていた、そんな時代だった気がする。

元気があったのだよ、不思議なくらい。(笑)

話に戻ると、2次会の「お店の女性も一緒にお客さんを接待してくれる」店に入ってから数時間。

当時は気ままな独身一人暮らしだった僕は

何の気兼ねもなくその日も自堕落な楽しいお酒(いや接待)をいつもの通り楽しんだ。

午前2時も回ったころにタクシーを呼んでお客さんを見送り

帰宅するという、いつものルーティーンを踏んでいた。

さて、Taxiも無事見つかり、お勘定の前に尿意をもよおしトイレに立った僕は

用を足しながらトイレの窓からみた間近に見える東京タワーをぼんやり見ていた。

(そうだ、あの景色はやっぱり六本木だった)

そして、そこで僕の人生を変えた瞬間が何の前触れもなく急に訪れたのである。

遠くに見える東京タワーを映した僕の瞳は

ゆっくりとその手前のガラス窓に映った男の顔に、その焦点を移した。

そこには、30代に手が届いたばかりの若い男の顔が映っていた。

「誰だ」

思わず声が出た。 

もちろんそれは僕だった

しかし、そこに映った僕の顔は自分のそれと決して思いたくないもの、

あえて言えば「ありさま」だった。

酒に酔っているとはいえ

この知性のかけらもない、にやけ、ふやけた顔は何だ

これは俺なのか、と自問自答した。

そして次の瞬間 

酒で動きはずいぶんと鈍くなってはいたはずの頭に浮かんだ言葉が

僕の人生を変えたのだ

「こんなことやってると、俺は本当にバカになる!」  

心底不味い、と思った。

自分が将来抱えるであろう、必然的かつ大きなリスクを感じた瞬間だった。

マジで。(笑)

えっ?それでどうしたって?

生来、意思の弱い僕のこと、劇的に生活が改まった・・

わけではなかったが(接待も仕事だし・・ブツブツ)

それでも、流石に「これはまずい」というスイッチが入り、

それから

・「知性を磨くには何をすればいいのか」

・「会社に頼らずに生きていけるようには何を学べばいいのか」

・「自分はそもそも何をしたいのか・何ができるのか・何が得意なのか」

・「そもそもどこから何から手を付ければいいのか」

等々キャリアデザイン講座によくある「自分の棚卸」を行った。

そして、そこで出た結論は

当時の私には殆ど全く可能性の無いと思われた”高嶺の花”

社内の「米国MBA留学派遣制度」への挑戦、だった。

勉強秀才のなれの果て系が少なくない当時の会社のMBA派遣者は

社内でも秀才で通る人達の登竜門的存在

体育会系宴会採用CEO候補(Chief Entertainment Officer)だった私には

冷静に考えれば、どう考えても無謀ともいえる挑戦だったと思う。

でもね、でも勝負はやってみなければわからない (笑)

英語は割と得意種目だったので

「人生に不可能は無い」などとうそぶきながら

社内選抜試験に必要なTOFELの勉強を始めた。

「願いはかなう」

「奇跡は起きた」

秀才軍団数十名に混ざり、数々の偶然と幸運を味方にして

気が付けば「年一人」の狭き門をくぐることになんと成功したのである!

当時の上司に報告した時に、「おめでとう!すごいな」のあとに言われた

「オオニシ、”普通の人”の希望の星になったな」

という素直な感想が

その“番狂わせ”のさまを全て物語っている

そう、僕、胸を張っていうけど、自慢ではないが“雑草”系だったのだ!(笑・涙)

そういえばその年の選抜で競合となっていた、自他ともに認めるエリート東大卒の先輩に、

「実はMBA候補生となりました」と廊下で人事異動のあいさつをしたら

驚いた顔で「君が?」といわれたのもよく覚えている。

感じ悪いぞ! ハハハ。

でも手に入れたらこっちのもんだもんね~。

34歳にして渡米し、36歳でMBAを取得

知力はともかく、徹夜で勉強を続けるための体力的にはぎりぎりの年齢だった。

帰国後は、時に「頭でっかち」という逆差別を時に受けたような気もしたが

雑草系の僕がその後、様々な得難い機会を得て

グローバルビジネス領域で縦横無尽に希望通り「暴れる」ことができたのは

この「MBA取得」という

大きな追い風があったからであることは間違いない。

そう、

あのバブルの夜に、「アホ面」の自分に気づか無ければ、

僕のキャリアパスは、そして人生は全く異なったものになっていたと思う。

まあ、変わってこの程度、というのがご愛敬ですが。(笑)

さて、みなさん。

人生を変える気付きの機会は、思わぬところに転がっていますよ。

えっ、まだ見つかっていない?

それでは見つかるまで探してください。 

それまでは、Don’t settle! (Steve Jobs)

このころはまだDiscoという呼び名でした・・・

And yet it still moves! なんなら、自分で地球を回してみるか?! (笑)

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