No Golf No Life “探検隊”はBritishスタイルか?
2020.04.25
【Nick塾】 <グローバルよもやま話>ゴルフ編
ゴルフが好きだ。
仕事が生活の中心を占めていた元祖昭和世代の生き残りの私にとって、活字中毒的乱読以外これといってゴルフ以外に長続きしている趣味はない。トホホ。
新入社員時代に、当時の上司に「営業にとってゴルフは仕事だ」と強制、いや熱心に勧められて始めてから、すでにうん十年が経った。その間、日本におけるゴルフ業界の浮き沈みを同時代的に見てきた。
バブルの頃のゴルフ会員権狂乱の時代の熱に浮かされたようなゴルフブームは凄かった。
例えば、名古屋の敷居の高い某メンバーコースは、接待ゴルフのスタート(プレーの予約)をとるために、わざわざ企業の若者がゴルフ場に行って並んでいた(嘘か誠か今も似たようなことが続いているらしい・・)。
バブル崩壊後、のちにほぼ紙切れとなる会員権が億の声を聴いたり、会社の懇親コンペの一日の参加費が当時の給料の20%を超える目の玉が飛び出そうな金額だったり、接待ゴルフがベースだった日本ならではのゴルフ場独特の作法があったり、馬券や握りという賭け事系があったりと(そういえばコンプライアンスの概念が日本に2000年代に導入されて消えたな、あれ)。
今のエンジョイゴルファーの若者には想像もつかないような時代があった。正直、あまり品の良いスポーツではなかった気がする。いや、そもそもスポーツのカテゴリーだったのかな。金の匂いがそこここに溢れ、20代の若い私には、アホか、ほんまに、と思うことも多かった。経済的な理由も含めて、しばらく足が遠のいたこともあった。だって、20代の私にはほかに楽しいことは山ほどあったのだ。(笑)
その後バブルが崩壊し、世の中の様相も忽然と変わり、ゴルフ不況。それからしばらくして救世主の宮里藍ちゃんや石川遼君が登場し、ぐっと雰囲気も変わり、そのあとはご存じの通りの女子プロブーム。因みに、昨年の全英女子オープンは旅先の古巣アトランタのゴルフ場のクラブハウスで“シブコ”を米人ゴルファーに混ざり応援した。
彼女はチャーミングだ!と口々に周りのオヤジがビール片手に褒めるので、同じ日本人(生まれも同じ岡山県)だという以外には全く共通点が無い私も自分のことのように、“Go Shibuno!”と、うれしくなって熱く応援したことを思い出す。
やっぱり、ゴルフが好きだ。
30代半ばから海外にいる時間が長くなりこれまでに通算38ヵ国でビジネスをした私は、居住した豪州や米国以外にも、出張先の週末の時間を見つけては海外でのゴルフを楽しんだ。結果、5大陸全てでゴルフをしたことになる(色々な国でのゴルフ物語はまたそのうちに)。会社の先輩や仲間とプレーすることも楽しかったが、プライベートでは主に「組み合わせ」で楽しんだ。
ゴルフをよくご存じない方のために若干お話しすると、ゴルフは原則4名一組でプレー。仲間うちで4名集めることが日本は多いのだが、海外では、この「組み合わせ」(他の見も知らないプレーヤーとゴルフ場の差配でご一緒する)も少なくない。特にリゾートゴルフでは。もちろん、カップルが二人(ツーサムといいます)で回ったり、許されれば一人で回れることもある(これ最高!)。
日本の高級コースではお世話してくれるキャディさんが一組に一人つくが、欧米のコースは、よほどのコースでなければ、頼まなければ自分たちだけで回る(セルフ)スタイルが主流。一方、タイなどアジアの国には、キャディがプレヤー一人一人についたり、最近はどうか知らないが、80-90年代には金持ちがこれ見よがしに、傘持ち・椅子持ち・その他もろもろで一人が大勢引き連れている風景にも出くわした。品がないことこの上ない、と私の目には映った。ひがみ?いやそうではなかったな。(笑)
日本にも最近はこのセルフプレー、カジュアルコース中心にとても増えている。気楽なのがいい。とてもいいことだ。ゴルフは本来そういう、カジュアルで明るく楽しいスポーツなのだ。
私が最初に海外でのゴルフに魅了されたのは米国MBA時代。授業料と住居費、そして減額されてはいたが給与のサポートを受けるという、決して足を向けて寝られないサポートを会社から頂いていた私だったが、企業派遣の学生は学期の合間の長い休みに他の米人の学生のように働くことを許されておらず、学期中の殺人的な多忙とは真逆の、有り余る時間をややもてあますというこれ以上ない贅沢に当時直面した。
南部ジョージア州・アトランタにいた私にとって一番金のかからない娯楽はゴルフであった。因みに私の母校のEmory大学は、マスターズトーナメントを始めた球聖ボビー・ジョーンズの母校(プチ自慢(笑))。一番安かったコースは1ラウンド僅か10ドル。当時の円高傾向の為替で何と900円。激安。当時(1994-96)は、未だ日本ではネットなるものは全くといってよいほど日常生活では普及していなかったが、黎明期のアメリカでは盛んに活用され始めたころであり、インターネットを大いに活用し、安くてコンディションの良いゴルフ場を探しては、ローカルの米人と一緒に楽しく回った。
“Hi, I am Nick. What’s your name? David? Great to see you! Let‘s have fun!”
ってな感じですぐ仲良くなり、お互いの好プレー珍プレーをほめたり笑ったりしながら、お互いのバックグラウンドをよもやま話しながら打ち解けて、18ホールを回り終わる間にはすっかり友達になることも多かった。
アメリカではフツーなこの感覚、文化の差とは言え、なんと日本は窮屈だな、ローカルルールに作法とくだらんな、と思った次第。かなり集中的に楽しんだせいか、若干腕も上がり、帰国後は「ゴルフ留学に行ってきたのか?」と仲間には揶揄された。もちろん、ちゃんと勉強もして、無事卒業。(笑)
日本では北海道や一部地域を除き、ゴルフ場の経営を助けるためのシステムか、全18ホールプレーの半分終わったところでランチをとるのが慣例だけど、海外ではそのまま18ホールが王道。日本、特に首都圏ではゴルフは一日仕事だけれど、多くの場所では朝から昼までプレーして、午後はファミリーサービスというのが普通。なんて豊かなんだ、といつも思った。日本のゴルフ場の割り高料金のランチより、海外のシンプルなホットドッグにダイエットコークの方が私は好きだ。主役はあくまでゴルフなのだから。日本のSNSのコース評価にはランチがまずかったとか、接客がどうだとかのコメントをよく見るが、私には理解が難しい。コースのコンディションや、快適にラウンドできるかどうかを左右する混み具合は大切だが。
ゴルフが好きだ。
夏坂健や伊集院静のように、いつか、ゴルフバッグを担いで欧米の名コースを回りながら紀行文をしたためたい。そんな人生の夢が私にはある。そして、その土地の見ず知らずのゴルファーと一緒にプレーして、「あのショットは酷かった」「あのアプローチはプロみたいだった」などと取るに足らない話を肴に一緒に地ビールを飲みながら大笑いしたい。 ゴルファーは「ゴルフが好きだ」というその一点だけで、国境を軽々と越え友情を育める。しかも、歩ける限り、年を取って爺さんになっても、一生楽しめる。不思議な魅力をもった生涯スポーツだ。
話は尽きないが、My Golf My Lifeの 第一話の最後にガラパゴス化の戒めを。
40代で関西に営業の仕事で単身赴任していた時、会社に素晴らしいゴルフ場の法人メンバーにしてもらった。ゴルフ好きの人なら誰でもご存じの名門コースで、女子プロのトーナメントも今でも毎年開催されている。練習場の質も極めて高く、単身赴任で有り余る時間を持て余していたゴルフ中毒患者の私には、これ以上ない天国のような環境だった。
今ほどではないにしろ、関西の夏は暑い。暑い夏はショートパンツ派の私は失礼があってはいけないと、メンバーになる前の面接の際、ジャケットとタイでビシッと決めた面接官シニアに「ショートパンツの際にハイソックスは必要でしょうか」と念の為に確認した。今ではかなり少なくなっているが、当時は半ズボンの際には長いハイソックスをはく(ちっとも涼しくない!)のが「マナー」となぜか日本ではなっており、その探検隊のような無粋な恰好が嫌いな私は「くるぶしが隠れるショートソックス」という至極なじんだグローバルスタンダードが許されるのかという確認をしたかった。
ところがあにはからんや。「いや、ハイソックスを履いて頂きます」という絶望的な答え。思わず「えっ、それって日本特有のルールでは」と返した私に彼が言い放ったのは「これがゴルフ発祥の地のBritish Styleです!」と。
「イギリスでゴルフよくプレーしたけどそんなこと言われたところなかったゾ!」と思わずのどまで出かかったが、こんなことで天国の切符を手放すほど馬鹿ではない私は、「そうなんですか」、と場を収めましたとさ。
ガラパゴスになるぞ!と心の中で叫びながら。(笑)
今ではどうなっているのだろうか。まだ、“探検隊”の一団が、コース狭しと闊歩しているのだろうか?
毎年の女子トーナメントでTVの画面に映し出されるあの素晴らしいコースを眺めながら、大真面目に説明してくれたシニア紳士の自信にあふれた表情を思い出すのです。 British Style!
And yet it moves. ゴルフ、やっぱり好きだ。 To be continued..
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