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民主主義はめんどうくさい

2020.05.03

【Nick塾】  <グローバルよもやま話> 異文化・社会システム and a bit politics…

一夜にして世の中が変わる。

コロナ災禍がスタートした中国武漢。 日本人の常識からは遠く離れた病院を突貫工事で僅か10日間で作ってしまうという報道が世界を駆け巡った。驚愕と日本では報道されたけど、僕にとってはまさに既視感のある光景だった。

まあ、中国らしいな、と。あっと言う間に大きな病院が作られ直ちにオペレーションが開始された。中国共産党の強烈なリーダーシップをまさに象徴する出来事。これが中国なんだよな、と。

船会社に勤務していた時代、港湾ターミナル事業の担当だったことがある。中国の外航ターミナル分野が急激に伸び始めたころのこと。日本は、今では足元にも及ばないほど水をあけられてしまったが、当時はまだ今ほどではなかった。

国際投資案件の”出物”を世界中で探していた私は、数か月の出張の合間に、まさに忽然と大港湾ターミナルが中国で建設された現実を何度も目撃した。

ついこの前まで鄙びた漁村や古い町並み、そこでのどかに生活する人々がいたその場所に、その人々の匂いや生活の痕跡を跡形も無く消し去った巨大港湾ターミナルが出現するさまを私は何度も見せつけられた。

およそ日本の感覚では理解できないこのスピード。人権や複雑な民時の権利関係等に拘泥していては絶対に実現できない世界がそこにあった。

良くも悪くも、この国はそういう国なんだ、そう痛感させられた。この社会システムが全く異なる国と、スピードで競争できるわけないな、と。

一方、当時はインドという伸び盛りというかその端緒についたばかりの大国も、中国と同様に当時の最重要ターゲット国と位置付けて頻繁に訪れていた。

広大な国土とけたたましい人口(全容は把握できていない?)。他民族国家。圧倒的な数の貧しい人々と一部の超富裕層の存在という社会構造長い歴史。

 様々な類似点はあるが、全く違うのは社会システム、そして意思決定と実行の“スピード”。そう、インドは認めようと認めまいと、民主主義国家であり、コンセンサスの形成や社会のシステム・手続きは、中国のそれらとは全く異なっていた。

誤解を恐れずに言えば、その後、20年近くの時間の経過を経た現在の中国とインドの圧倒的な国力の差は、まさにこの“スピード”の差

この“スピード”の差を生んだ政治・社会システムの差に多くは起因するのではないか、そう思っている。

インドではとにかくややこしい大量の時間を要するプロセスと手続きが求められた。

インドの役人は、「Mr. Ohnishi、これが民主主義の手続き」だと胸を張り、そして長い時間をかけても芋虫の前進よりも事が進まなかった。誰が言ったか「インド民主主義」。停滞と遅延を揶揄した言葉。

一方、同じ時期に訪れた中国の役人は「Ohnishi san, あなたが次に訪れる時は港の全ての景色が変わっているよ」と胸を張り、確かにあっと言う間に景色は全く変わっていた。

そこで生きていたはずの人達の営みの跡形も一切消し去って。

どっちがいいか。

その質問に私は答えをもたない。選ぶのはその国の国民だろう。(中国はちょっと違うかな?(笑))

そして、最近の日本。

「こんな時期に政府の批判はするな。」「みんな頑張ってるだろう。」「心を一つに。」そんな掛け声がSNSの世界でこだまする。

私の答えは、Yes and No

もちろん、空疎な批判のための批判だけではダメ。批判には常に対案を伴うことが必要。額に汗して窮状を脱するために身を粉にしている医療現場を始めとする人々の支援は最優先。その通り。

でもね、建設的な批判はとても大切。過去、多くの尊い犠牲を払った全体主義に戻らないために。今回も、国民を救済するための給付金に多くの批判が集まり、それが政府の軌道修正を促した我々は国家のために存在しているのではない。国家は我々の存在を守るために存在している。憲法にはそう書いてある。

間違っていると思えば、それは間違っている、こうしよう、と発言することはとても大切。それが民意の発露民主主義そのもの。 誰にも白紙委任状を与えてはいけない。僕はそう思う。

それじゃ、遅いし進まないじゃないか、という人もいるだろう。でも自由に意見が言えるこの国は素晴らしいと僕は思う。それがない国では、少なくとも僕は呼吸ができない仮に、どんなに豊かな生活を送れたとしても、そこでは生きていけない。少なくとも僕には、自由は空気や水と同じ大切な価値を持つのだ。

もっと規制を厳しくないと、自粛による行動変容に効果がないと叫ぶ人がいる。確かに、このコロナ惨禍において、「おいおい、なんだよ」と思う人々も目にする。想像以上に。年齢や性別、公職についているかどうかは問わず。おっと。(笑)

でも、僕は、権力に縛られる事なく自らが自らの意思で判断し自らを律する方が1000倍良い。

誰かに縛られる前に、自分の頭で考えて行動したい。

今こそ、日本の民度が試されている。そう思う。

縛られなくては動けない人間にはなりたくないのだ。

そして、なぜ縛らなければ動けないのか、

という根源的な問題に目を配りたい。多くの場合、

そうならない理由が必ずあるはずだから。

民主主義はめんどうくさい

民主主義はインドに限らず極めて面倒くさいシステムだ。だから、そもそも面倒くさいものだという前提で、周到な議論や事前の準備が必要だ。時間がとにかくかかる。丁寧にそのプロセスの面倒も見てやらなければならない。だから時間をかけた前広の準備がいる。お互いの意見をくみ取り、落着点を見出すスキルもいる。一つ一つが手間暇かかる。実に面倒くさい。

でも、上手くいかないから、スピードが足りないから、独裁国家を真似しようというのはあり得ない選択。

少なくとも僕には。

民主主義を維持する市民としての能力を自分は持ち合わせないという決定的な自己否定だと、少なくとも僕は思う。

この自由を手に入れるために、日本は、先人はどれくらい大きな犠牲を払ったのかを忘れてはならない。

空疎な小田原評定で何も決まらない。あるべきリーダーシップの欠如で前に進めないのはとっても困る。

一方、一晩のうちにすべてが問答無用で変えられてしまうのはもっと困るし、耐えがたいほど怖い。

20年前、経済が烈火のごとく伸び行くあの大陸で、僅か数か月で忽然と表れた新しいコンテナターミナルを見た時の言葉にできない不気味さとその時に心に湧いてきた疑念を僕は今でも忘れない。

「あの人たちの平和で静かな生活はどこに行ったのだ?」

民主主義はめんどうくさい。でも、ありがたい。少なくとも僕はそう思う。

あなたはどう思いますか?

海外に出て、違う国に出会うとき、そういう角度で比較してみると、色々気づきがあるのではないか、僕はそう思う。

And yet it moves.  それでも、地球、回っているなぁ。

(C)AFP